赤塚不二夫会館にも行ってきました。(青梅市の昭和レトロ商品博物館の隣の隣)
どんな記念館というと・・・
実は、言ってしまうと面白くないので、
伏せておきます。すみません。ぜひ、足を運ばれてください。
赤塚不二夫というと、ご存知のように「ギャグ漫画の神様」と呼ばれる。
おそ松くん - 1962
ひみつのアッコちゃん - 1962年
天才バカボン - 1967年
もーれつア太郎 - 1967年
メジャー作品の連載開始の年を並べてみたが、
1981年生まれの私でも全部知っている。
(これらは、アニメで観て育ったのだ。)
2008年8月2日に惜しくも故人となったが、
実を言うと、それまで私は全く赤塚不二夫に興味がなかった。
亡くなられた翌日のスポーツ新聞には、
「人生は最後につじつまがあっていれば何をやってもいいんだよ。」という
赤塚不二夫の言葉があった。
彼は、「これでいいのだ」と言って亡くなった気がした。
この言葉は、バカボンパパが言う言葉なので、
聞き流してしまうが、赤塚漫画を研究する大学教授は、
ブッダの教えと同じだという。
バカボンは「仏の異称」であり、漢字で「簿伽梵(バカボン)」とも書く。
「これでいいのだ」は、ありがたいお言葉なのだ。
赤塚漫画で特に興味深いのは、
『レッツラゴン』 (1971年)だ。
これは、ひどくシュールな漫画である。
おまわりさんが他人のカレーの上にウ○コをし、
その後、笑顔でダイナマイトで粉々になったりする。
かわいいブタ同士が笑顔で共食いするシーンもある。
※フジオ・プロのオフィシャルサイトでエピソードが読めます。
この漫画は、ストーリーだけ書くと、卑劣でえぐいのだが、
実際に読むと、そうは思わない。そのタッチから「ここまでやるか。赤塚不二夫!」と、
笑って親しみが湧いてしまうのだ。不思議な魅力がある。
赤塚不二夫の娘・りえ子さんは、インタビューで、『レッツラゴン』を
実際の父を一番表している漫画という。
以下は、私感だが、
『レッツラゴン』の趣旨は、中身ではなく、
この漫画を書いている自分(赤塚氏自身)
に注目してもらいたかったのではないか。
(大ヒット連発で、これ以上売れる必要もないこともあったでしょう・・・)
そして、漫画の奥に潜む大人である自分自身を、
赤ちゃんのように振る舞うことによって、
我々世間一般の " 鏡 " にしてほしいと思ったのではないか。
そう思うのは、赤塚不二夫が気づかいの人だからでもある。
<自身の還暦パーティ>
赤塚氏にとって、自分以外の世間一般は、
周りを気にもとめず、なりふり構わず、
そして、空気の読めない、わがままな赤ちゃんに映ったのではないか。
口では言えないから、漫画の奥で語ったのではないか。
生前は、ピースを吸うヘビースモーカー。
きっと「吸わずにいられなったのだろう」
ニャロメー
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